大雲寺・瘡守稲荷・新福寺・初音の里・白山御殿跡・万金楼 − 指ヶ谷町以外附近各町

大雲寺

大雲寺は白山御殿町十六番地にあって宝国山荘厳院と号す。 浄土宗、智恩院末寺。 境内に馬頭観音がある。 是れは小石川誌料に依れば、高麗国より献上したる館林侯の乗馬であったが、此地に埋めて馬頭観音と崇めたのであると、館林侯綱吉は世嗣時代に白山御殿にあったので、其の乗馬を此処に埋めたものであらう。 寺内に戯作者二代焉馬、馬術家佐々木万三郎の墓がある。

瘡守稲荷

白山御殿跡、旧幕士大前某邸内に鎮座の稲荷なりと云ふ。 江戸砂子にも載せ小児の顔かしらなどのでき物、此の神に祈ればふしぎの奇瑞あり、願成就の時、土団子を神前にさゝぐと記してあ る。 谷中笠森稲荷の分祀とも伝へられて居る。

新福寺

白山御殿町二十三番地、日々山新福寺、真宗、もと小石川表町にあったが、延宝の後こゝに移ったと云ふ。

初音の里

白山御殿町の辺は杜鵠の名所として知られて居る武蔵の国の時鳥は此の里より鳴き初むる由、江戸砂子東都歳事記等の諸書に見ゆるが、此の里の名を得たる訳であらう。

白山御殿跡

五代将軍綱吉の未だ儲君館林侯として居住してゐた白山御殿跡、青木昆陽が甘藷の栽培を試みた御薬園、夫れから施薬所などの跡は今の植物園の地域であった。

万金楼

万金楼は此の附近に於げる最も古い料亭である。 昔、仲仙道から参勤交代に諸大名の入府する時、昼食と更衣の場所として此処で旅装をとく習はしとなって居た。 従って此の辺の大名屋敷は概ね此の楼の出入場であった。

古記帳  古き出前控へ帳 旅行案内(木版のもの)

鮒盛りの台  一尺五寸四方あり、大名方へ供する膳部

など今尚同家に保存せられ、料理としても旧来の格式を守った七五三料理、料理は三汁茱、上段餅、蓬莱、二段雜煮、三献も伝へられて居る。 此の附近に邸宅を持って居た柳沢甲斐守の如きは此の楼に来って常に盛宴を張ったもので「万金楼」の大額は甲斐守の筆蹟で墨痕鮮かに常時の栄耀振りを物語って居る。