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三、三業組合創立の苦心 第五章 組合創立当時の苦心
三、三業組合創立の苦心
衆議院議員 大崎清作氏 談
白山三業組合の創立三業組合の創立者秋本鉄五郎氏の苦辛夫れもまだ昨日の様に考へられて居たが、最早二十年の昔となつたのである。 其の創立に献身的の苦労をなした。 其の秋本鉄五郎君も既に物故して今は幽明境を異にして居るが、今日白山三業株式会社が二十年の年月を経過して盛大になり、かくも盛んなる大発展を遂くるに至つたと云ふことは、故人の志を引き継いで現社長秋本君初め、会社関係の人々が努力したからであつて是れには故人も大満足であると思ふ。
兎に角、故人秋本君が三業組合を創立する当時に於ては土地も今日の様な賑かではなかつたし提出の願書も永い間何度出しても皆つき戻されると云ふ始末で、誰れも一緒に此の運動をすると云ふものもない有様であつた。 監督官庁たる警視庁の方面では小石川は学校も近く学者博士の邸宅も多く、当時所謂教育区であるとしてゐたから、茲に絃声湧く狭斜の地をつくることは出来ぬと云ふので絶対的に許可の様子がなかつたのである。 夫れを故人が幾度も幾度も願書の却下をうけながら更に勇気を出して申請嘆願を繰返し、其の抜可からざる大なる根気を以て終に指定地許可を実現するまでに運んたものであつた。 此の三業会社の存する限り、秋本鉄五郎氏の苦心は忘れてはならぬのである。 二十年の昔を追懐して感慨に堪へぬ次第である。