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七 芸妓屋営業の願書 第五章 組合創立当時の苦心
七 芸妓屋営業の願書
白山三業組合組織につき芸妓屋営業の許可を受ける為めに、其の筋へ提出した第一回の願書は今日では遺失して明白でないが、第一の願書が却下されて直ちに再提出した第二回目の願書は次記の通りである。
芸妓屋営業御許可願
本籍地 東京市小石川区小石川掃除町四十七番地
現住所 平民戸主 秋本鉄五郎
安政三年五月五日生
右は今般地主の同意を得、小石川区指ヶ谷町百四十四番地を除き、同百四十五番地の区域内を以て芸妓営業地と相定め度候間御詮議の上御許可被成下度別紙図面並に理由書相添へ地主並に近間地主連署を以て此段事願上候也
明治四十一年十月九日
右 秋本鉄五郎 印
小石川区小石川指ヶ谷町百四十四、百四十五番地
地主代 中島博経 印
同区 指ヶ谷町五十三番地
四十五番地九十一番地代 金森多兵衛 印
同区 同町百卅番地
金杉清之助 印
同区 同町三番地、四番地
関幸作 印
同区同町九十五番地
倉田庄右衛門 印
同区 同町廿七番地
田口半次郎 印
同区 同町十番地、十一番地、十二番地、八十一番地、八十二番、八十五番、八十六番、八十七番、八十八番地々主
松南宏雅 印
同区 同町百二十八番地、百二十九番地、百十八番地、百十七番地、五十四番地主代理
河野安吉 印
小石川区 指ヶ谷町一番地
関屋祐之介 印
警視総監 亀井英三郎殿
右願出候に付奥印候也
明治四十一年十月九日
東京市小石川区長 須崎緝作 印
理由書
今般自分芸妓屋営業出願の要旨は当小石川区たる従来不毛の如き地多く、区面積の大なる割合に人口僅少、且つ交通の便乏しく特に郡部に接近し十五区に於ても其位置尤も劣等視せられ居たるも数年前より大に開発し、爾来今日に至りては交通の便開け隨て人口大に増加し又昔日の小石川たるの観無之候、而して今や其筋に於て郡部たる巣鴨町をも当区内に編入の議有之哉の趣に就ては将来益々区の利益を増進致候事と存候に付きては十五区内一区として芸妓屋営業地の指定せられざる区無之に獨り小石川区のみ其御詮議無之は遺憾に存候、今や区内の開発に件つて飲食店の営業者日を追ふて増加し、隨て芸妓の必要有之候、今回の出願地たる公私病院の如き者又は学校等は附近に無之特に既往は銘酒店軒を並べて営業致し居り候得共、今や僅かに二三軒を残し居り候有様に有之其近傍に於ても銘酒屋の慣例も有之候事に候へば別段の苦情等は有之間敷と存候間土地の情状に依り何卒御詮議の上速に御許可被成下度此段理由上申候也
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