監査役 初見嘉四郎氏 二、白山三業株式会社重役略伝 第六章 白山三業株式会社現況

二、白山三業株式会社重役略伝

監査役 初見嘉四郎氏

現白山三業株式会社監査役、 初見嘉四郎氏は茨城県猿鳥郡八俟村の人、 万延元年五月五日生、 明治十八年上京、 市内各所に於て魚商及料理業に従事し、 明治三十九年前代万金楼の後を引継ぎて経営することとなり、 後白山三業組合成立と共に組合員となつた。三業関係以外の仕事としては東京魚商組合副会長より東京魚商組合の顧問、 全国料理飲食業組合の理事をつとめ、 又同〆肥料株式会社の監査役にも選任せられた。白山三業株式会社に於ては大正二年監査役となり後一たび取締役となりしが、 現今は監査役に重任せらるゝに至つた。同氏は東京に出でゝ約五十年、 其の間具さに辛酸を嘗めつゝ今日の基礎を作つた人物だけあつて、 風貌に於ても堅実味に充ちて居ることが肯れる。趣味は旅行道楽、 一年の半分は旅行で暮らす同氏である。足跡は日本全国津々浦々に行き渡り、 遠く支那は山東、 南京に迄及んで居る。営業所は本郷区東片町八十二番地、 創烹万金楼、 同楼は白山御殿当時より営業して居つて今日に至るまで実に二百五十年の歴史を有する老舗である。建築は近来多少の増築改造を加へたるも基本は天保二年の建設にかゝり今尚一尺四寸角の檜の大黒柱が厳として建物の重心となつて居る。維新前旧幕時代中仙道から入府の諸大名は何れも同楼に立寄り、 更衣装束を改めて夫々の屋敷へ入つたと云ふことである。座敷数四十九畳の大広間を入れ十間、 建物全坪数約二百八十坪の三階建の大料理店である。