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取締役 高橋凖司氏 二、白山三業株式会社重役略伝 第六章 白山三業株式会社現況
二、白山三業株式会社重役略伝
取締役 高橋凖司氏
現白山三業株式会社取締役、 高橋準司氏は明治六年十二月千葉県蘇我町に生れた。父君高橋喜兵衛氏まで幾百年連綿たる家系を有せる代々の酒造家で同氏は其の二男である。千葉県千葉中学校、 慶応義塾に学びたる後、 郷里に於て家業に従つて居たが、 明治三十七八年頃上京、 兜町に於て、 現物仲貸営業、 明治四十二三年頃は秋田県に於て羽奥鉄道の新設工事請負、 夫より株式会社丸善書店の会計係、 相互保全株式会社常務取締役等の種々の変転せる業務に行く処として可ならざるなき才幹を発揮したと共に事業上に於ては幾多の辛酸を嘗め尽して来た訳である。同氏が当三業会社に関係を持つ様になったのは大正六年十一月三日、 小石川指ヶ谷町百四十六番地に待合業金元を開業せるに始まる。大正十二年当社の監査役となり、 昭和四年取締役に選任せられた。白山待合組合長に選ばるゝこと二期、 又東京二業連合会常務理事、 東京待合組合専務理事兼会計として現今に至って居るが、 又昭和五年度、 東京待合組合白山支部納税代理人、 東京市嘱託の委嘱をうけて居る。明治二十七年第一師団騎兵第一連隊に一年志願兵として兵役をつとめた。趣味は書画、 骨董殊に陶磁に就いて鑑賞の一隻眼を有して居られる。同氏自ら云ふ自分の如き短気狷介な性質のものは此の営業には不向きの人間であります。常に自省抑制に心懸けて居る次第でありますと云って居た。夫れが為か欄間の上には忍耐の二字を書せる扁額を掲げてあつた。然し同氏は人情味に富める性格の人で、 此の点は永く同氏と交際して居る人の一致して讃へて居る処である。