大阪花街総記

大阪名物、船に、橋、お城……と。 大阪はもともと水を中心として建設された市街で、道幅は狭い川幅はひろく、淀川の分流安治川を大通りとして縦横に溝渠を通じ、川は即ち通路で、むかしは五座の芝居見物にも役者の楽屋入りにも、多くは屋形船で往来したものであつた。 さうした風流は今日は最早ほろびた代り安治川の大通りはダンダン延長されて、瀬戸内海を経て四国に通じ九州に通じ、支那に通じ、アメリカに通じてゐる。 大阪の今日の発展は「水の都」のためでなくて何であらうぞ。

水の都は橋の都である。 水あるところ橋あり、橋あるところ舟料理あり、これは東京にも京都にもなく、ひとり大阪のみが有する特殊の景物である。 その橋の中には近松の浄瑠璃などにあらはれて、艶めかしいロマンスを有つたものが多く、橋めぐりをしても両三日の閑を消すには充分であらう。 「南地の五花街」は相生橋、太左衛門橋、戎橋、新戎橋などを挟んで道頓堀川の両岸に相対し、「松島遊廓」は、東よりすれば松島橋、伯楽橋、千代崎橋、西よりすれば常盤橋、花園橋、花宮橋、南よりすれば大正橋、岩崎橋。 何処からしても橋を渡らないでは行けぬ花街である。 南の五街を「島の内」と称するのも、古来安治川以北を天満、蜆川以北を北の新地、南部を難波新地など云つたに対する中央部の俗称で、即ち旧大阪のその又中心街と云つた様な意味。 それから延いて廊のことを「島」と呼ぶのも、大阪が水の都であることを常に念頭にして、はじめて解し得られる言葉なのである。

大大阪の十花街

今日の大阪市は、南は大和川を隔てゝ和泉国と堺を接し、北は新淀川を渡つて神崎川の左岸におよび、東は中河内郡と堺を接してゐる。 即ち旧来の東西南北の四区を分つて天王寺、浪速、港の三区を新設したるものに此花、西淀川、東淀川、東成、西成、住吉の六区を加へて十三区制とし、広柔実に六十六万平方哩、人口二百三十万、通天閣の高さを以てしても、市街の隅から隅まで全部を見渡すことは出来なくなつたと同時にその花街も旧来の五廓に新たに五廓を加へて新旧十箇所の花街を抱擁することになつた。

旧五廊とは南区の「南五街」、北区の「曾根崎」、西区の「新町」「堀江」及び「松島」の五遊廓を指すもので、その内松島だけが明治初年の創設で比較的新らしく、且つ娼妓本位の遊廓であるのを除けば、あとは何れも芸妓本位のしかも古い古い歴史を有する花街である。

新五廊は浪速区の「新世界」(旧南区の一部)天王寺区の「飛田」住吉区の「住吉」港区の「田中町」(旧西区の一部)及び東成区大軌洽線の「深江」を指す。 新世界は元から在つたには在つたものだが、歴史が甚だ新らしい上に大阪の花街としては異端的色彩を有つもの、飛田と住吉は大大阪となつた結果市に編入されたもの、田中町・深江は新指定地—三四年前からはじまつた新花街で、是からの盛り場である。 飛田や住吉も従来行政上こそは市外に属して居つたが、事実は矢張り大阪市の花街とするのが至当で、結局は唯だ名実共に市の花街に算へられるに至つたといふにすぎない。

しかし大阪の花街としての特色を帯び、之を代表するものは、南地、北陽(曾根崎)、新町、堀江の四廓に限られる。 松島・飛田の如き娼妓地帯や田中町・深江のごとき新指定地は勿諭のこと、新世界・住吉などに遊んだのでは、大阪の花街情調を味ひその特色を知ることはできない、で、以下説く所の大阪花街の特色の如きも専ら此の四廓に就て言ふのであるが、各論に入るに先だつて少しく総論を試みて置かないと、他国の人々殊に関東地方の人々には、大阪の花街はわかりにくいかと思はれる。