三都花街めぐり

烏森

区域 芝区烏森町一円の地。省線「新橋」駅の裏口(北口)を一歩踏出をば即ち烏森の花街で、駅のプラットホームから眼下に鳥瞰される。 別称「新橋南地」、新橋川一すじを隔てゝ新橋花街と殆んど地を接してゐる。ちよつとをかしく感ぜられるのは此地の組合の名を「新橋三業組合」と称することだが、説明をきいて見れば新橋は自分の方が本家で、所謂「新橋」は後に生れた花街だといふのである。なる程烏森に花街のあつたは宝暦頃からのことで、風来山人の志道軒伝にも土橋附近に岡場所のあることが記されてゐる。此花街が繁昌し始めたのは明治の初年、西郷南洲翁を取巻く軍人連の根城となつたがためで、「髯の中将」で鳴らした比志島義輝将軍(維新当時、武官中唯一の蓄髯家であつた)は此地の美妓お雲と恋に陥ち、遂に落籍して夫人とした、それがたゝりで同僚は皆な男爵・子爵と華族に列せられた間に、髯の中将のみは愛人のために華族を棒に振つてしまつたといふやうなローマンスを遺してゐる。...

新富町

区域 京橋区新富町一、二、四、五、六、七丁目から築地一、二、三丁目に亙る間で、新橋芸妓の出先きである築地木挽町と地を接してゐる。 新島原遊廊の跡...

霊岸島

京橋区内通俗「霊岸島に」在り、市電永代橋行「霊岸橋」停留場下車。 今日の霊岸島 茅場町から霊岸島に渡る霊岸橋の東側、電車線路を挟んで富島町一、五、七番地、南新堀一丁目一番地、浜町四、五、六、七、九、十、十一番地及び四日市町一、八番地に亙る区域が所謂「霊岸島」と称する花街で芸妓屋及び待合はこの間に集中してゐるが、出先きの料理屋は霊岸橋を渡つて南茅場町、或ひは亀島橋を渡つて八丁堀水谷町に及び、一方は永代橋際の大川端町に及んでゐる。...

深川仲町

場所 深川区富岡門前町から同門前仲町に亙る地域。 それ風流深川節に曰く『猪牙で行くのは深川通ひ』と、深川は水郷である、取分け木場につゞく此あたりは水郷であつたから、駕籠でゆくよりも、神田川或ひに日本橋川から船でゆくのが便利だつたのである。...

向島

区域 本所向島町、長命寺附近から秋葉社の附近に至る一帯の地に散在する。市街電車は柳島線の「中ノ郷」或ひは「業平橋」などが最も近く、徒歩約十分間で逹するが、浅草雷門—須崎町間を運転してゐる隅田乗合自動車を利用するのが一番便利であらう。 向島といふ土地は、元来東京から芸妓をつれて遠出で遊びに行くところで、向島芸妓はその遠出の客の座敷に招ばれて徒然を取巻くために生れたものだ、甚だ映えない刺身のツマのやうな役目であるが、客種は概して選り抜きである、従つて芸妓にも相当妓品を要し芸を必要としたが、今日のやうに向島そのものが殺風景となつては、遠出の客などは月の中に指を折つて数へる位のもの、かうなると向島の花街は向島として地方客を吸集して自立するの外は無くなつた。...

吉原

浅草公園から北へ四五丁、浅草区の最北端に位して西南は千束町二三町目、北は下谷龍泉寺町に堺し、東は五十間町をへだてゝ所謂「日本堤」に対せるー割である。 市街電車は南千住線の「山谷町」下車、西へ約四丁で大門に達するが、三ノ輪線の「千束町」或ひは「龍泉寺町」等に下車してもよい。 省線(山手線)は鶯谷駅もつとも近い、円タクは市内どこからでも一円でよい。...

洲崎

深川区の南端洲崎弁天町にありて、背面は直ちに東京湾に臨んでゐる。 電車は早稲田—洲崎線の終点「洲崎」停留場下車、東京駅附近から約十五分間。 洲崎橋を渡れば即ち洲崎遊廓である。...

新宿

場処 四谷区新宿二丁目の北裏一円の地域。 市街電車は新宿線の「新宿三丁目」停留場下車、電車通を北へ曲ればすぐ遊廓で、省線電車ならば「新宿」駅表口から市街電車路に沿ふて徒歩約三丁。...

品川

品川区品川町、旧市街地の西南端芝区高輪町に接続せる海添ひの町で、往時東海道方面から江戸に入る玄関口。 市街電車(上野−品川線又は浅単—品川線)は「北品川」まで伸びてゐて、其の終点停留場は丁度品川花街の裏手に当つてゐる。 省線電車によれば品川駅下車、徒歩五分間にして遊廓地に達するととができる。...

大井

「お若エの、お待ちなせこと芝居なら幡隨院の長兵衛が権八に声をかけるところ、むかしの刑場跡である鈴ヶ森を中心として出現した花街。 京浜国道に沿ふで交通至便旧市街の中心神田から円タクで行つでも安ければ五十銭、七十銭出すのはいゝお客とされてゐる。 京浜電車ならば「鈴ヶ森」又は「大森海岸」下車。...