東京花街心得帳

東京の三業制度

東京の花街は凡て芸妓屋、料理屋及び待合茶屋から成る三業制度である。 京都・大阪は芸妓置屋と貸席との二業組織で、料理店は加はって居らない。 故に料理店から直接芸妓を招ぶことはできないが、東京は料理店或ひは待合いづれから招んでも自由である。この点が先づ大いに異ってゐる。そして料理店は名に負ふ如く料理を本業とするもので、待合は自宅で料理をせず、料理を料理屋から取り、芸妓を芸妓屋から招んで客を遊ばせることを、本来の営業目的とする家である。この点に於て東京の待合と京阪の貸席とは甚だよく似てゐるが京阪の貸席では芸妓の外に娼妓をも招び、従って客と妓とがそこで同宿することは公然許されてゐるに反して、東京の待合では娼妓を招べないのは勿論、客と芸妓が宿泊することも殆んど黙認の態にはなって居るが、公認されて居る訳ではない。従って場末の花街になると、時として警八風なるものが吹いて、宿泊してゐた芸妓が淫売で挙げられ、待合が営業停止の処罰を受けるやうなことも、絶無とは云へない。

料理屋は料理で儲けるのが本業だから席料を取らぬが、待合は席料を主なる収入とし、最低一円から二円、三円乃至五円位の間で、家格に応じ或ひは室に応じて席料を取る外、仕出しの料理に対しても若干の手数料を取る。酒も料理店に較べると幾分割高であるが、総体に良い酒を使つてゐる。小人数でゆつくりと落付いて飲むには待合に限り、三十人位ならば宴会のできる家もあるが、待合は規模の大きい家よりも、小じんまりして設備が整ひ、且つ女将・女中共に気の利いた家を宜しとする。

芸妓の祝儀の制

東京の花街も今日は大部分「時間制」となつたといふものゝ、尚依然として「玉、祝儀」制を採つてる花街がある。芸妓の玉代及び箱代の外に「祝儀」といふものを、一定の額を定めて、勘定書に入れて公然と請求するのである。恰も旅館に泊つて茶代を請求されるやうなもので、祝儀といふ語義から言つても甚不可解な制度であり、叉京阪地方などにては絶対に無いことであるが、名目が異るのみで祝儀も亦玉代の一部だと思へばよい。二三十年前迄は東京でも祝儀は必らず客自から紙に包んで、一座の老妓に一括して渡すか、叉は一々当人に手渡したものであるが、後に「紙花」といふものになつてから、時に不渡りが出たりして、芸妓の方でも茶屋に立替へて貰ふ事を好み客も面倒がつて茶屋に立替へて払はせる者が多くなつて、茶屋と芸妓屋側が相談の結果一定の相場をつくるに至り、遂に祝儀制度なるものを生んだのであつて、此制度に於ける玉代は唯だ招聘時間の目安たるにすぎずして、祝儀を以て芸妓の主なる収入として居る。例へば二時間の玉代が二円であれば祝儀は三円、玉代が一円で祝儀が二円といふ風に、何れの花街たるを問はず、毎に玉代よりも祝儀の方が高くなつて居るのを観てもこの消息は解せられやう。が然し時代後れの無用煩瑣な手数たるを免がれぬ、それで近年は玉代、祝儀、箱代等の区別を廃し、最初の二時間何程、爾後一時毎に何程といふ風に、時間制度を採用する花街が増加し、今や方に此制度に統一されんとしつゝある。

女中の祝儀制度

料理屋に於ける女中の祝儀は客の任意になつて居るが、待合では女中の祝儀をも勘定書に入れて請求するのが常である、額は五十銭乃至一円で、余程大きな待合でないと二円は請求しない。これも一見甚だ不当のやうであるが、実は同じく客の便宜上から初まつたことで、東京では女中にチップをやらぬ客は殆んどない、自ら與るとすると豈夫五十銭や一円もやれない場合が多い、試みに大きな料理屋で女中に一円のチップを出して見給へ、決してろくな顔をしまい。然し勘定書に入れて請求されゝば夫れで済んでゆく。慣れゝば却つて便利で安直な制度なのである。−但しその家の格、女中の労の多少、及び己れの身分等をも考慮して、請求される祝儀以外、尚ほ若干の心附を与へることは、心ある遊客の時に忘れてならぬ所であらう。

遊興制度概要

東京では何処でも料理屋又は待合へ芸妓を招んで遊ぶのであるが一流花街の一流の待合では、一現の客を取扱はないこと京阪地方の大茶屋と同じである。二流以下の家では見ず不知ぬ客でもドシヽ上げるが、その代り時として「前勘」を当られることがある。二十円なり三十円なりの遊興費を前以て帳場へ預かられるのである、平素客だねの良くない花街では、殆んどこれを常習の如くにして居る土地さへある。女中が少しもぢヽしながら、

「あの……まことに済みませんが、土地の規則なんですから……。」

と言出したら屹度その前勘に極ってゐる、客として甚だ心持の好いことではないが、そんな場合変にいや味を並べて渋々出すよりも、「よし来た」と素直に出してやるがよい。或ひは此方から先手を打って、『初めてゞ様子が判らないから、財布をあづけておくよ、宜い様に取計ってくれ給へ』と、ポンと女中へ紙入を投げ出すのだ、『ほゝゝコチラはお堅いんですね。……否、うちでは前勘なぞ頂きませんわ』と来るに極ったものである。旅の客であれば旅館の帳場から紹介させるもよいが、料理屋ヘ二三度招んで顔馴染になった芸妓から紹介して貰ふのが、蓋し一番気の利いた方法で、これは必らず遊び心地のよい待合へ案内してくれる。

芸妓の招聘料は最初二時間を以て一座敷とし、卅分か一時間で帰っても此の規定の金額を払はなければならない。二時間後は「出直り」となるが、その計算法は花街によって相違し一様でない、近来は一時間制を採ってる花街もある。

「約束」は大抵三時間で、その間は他からの貰ひが利かない代り、時間経過後のお直しも利かないのを元則とし、且料金は普通よりも三割乃至五割位高くなってゐる。

「貰ひ」といふはAの家又は座敷に出てゐる芸妓をBの家又は座敷へ招くことで、これは全国一般の共通語であるが、「貰ひ受」—A客がBからの貰ひに応ぜず、依然その芸妓を自席に留め置くことを東京では「お直し」といふ。但し貰ひの掛ったとき、Bの家又は座敷へゆくかAに留まるべきかは全く芸妓の自由で、又「貰ひ」にしても「お直し」にしても、「増し玉」は附かない、この点は京阪地方と趣きを異にしてゐる。

「彼の家は貰ひが利かない」といふことをよく聞く。詰り他の家から貰ひがかゝつても之に応じないお茶屋(料理屋及び待合)がある、芸妓の意志を問はず勝手にお直しにしてしまふのであるが、それは斯かる特制がある訳でなく、一流のお茶屋で芸妓に対して壓力の利く家に限る。かと思ふと新橋の如くお茶屋よりも芸妓の方が勢力を有って居る土地では、規定の時間が来なくても後口がかゝると芸妓の方でズンズン貰って行ってしまう。故に遊びは矢張りいいお茶屋を選ぶべきである。

それから、東京は比較的狭い区域に沢山の花街があって、而もそれが悉く独立して居って、区域外の料理屋又は待合から招ぶときは、往復の車代は勿論「遠出」の料金を支払はなければならぬ、この点名古屋などゝは大いに制度が異ってゐる。   「仕切」叉は「詰め」(正午から夕六時まで、或は夕六時から夜十二時迄といふ風に長い時間を仕切って招ぶ制度)と称する制度は東京の花街にはない、従って東京の人が京阪地方へ行って遊ぶと非常に安く感ずると反対に、京阪地方の人が東京へ来て遊ぶと高いのに一驚を喫するであらう。その代り或る場合の交渉に至っては、東京は頗ぶる簡単で、且つ料金も甚だ安いのを特色の一つとする。

東京には「明し花」の制度なく、遊興は午後十二時を限りとしてある。

時間外の「遊び」

然しながら、料理屋であればいざしらず、待合では「時間すぎですから」と云って追出される心配のないことは、こゝにお断りする迄もない。待合は泊るところとのみ解釈してる野暮な客が多いのでもわからう。だが待合は貸座敷である、放館ぢやない、客の泊ることは別として、○○の泊ることは、たゞ監督官庁がこれを黙認してるといふに過ぎない、故に時間外の遊興については、客と待合と○○の自由交渉に任かせ劵番は与らないのを元則としてゐるが、それも時勢の推移で、近来は組合で定価表まで作ってるのがある。さすがにそんなのは旧市街には少く、もっぱら新市街地の花街に行はれてゐるが、○○○は○円均一、○○新劵は○円均一となって居り、北郊から東郊へかけての花街地には、—例へば○○花街の如き(A)○円、(乙)○円、(丙)○円、○○花街の如き(松)○円五十銭、(竹)○円五十銭、(梅)○円五十銭といふ風に一円ちがひの三階級に分けて、極めて旗幟鮮明なのがある。

時勢はむしろ、かくあるべきが本当なのかもしれない。

家に依っては専ら出入する○○の写真を揃へておいて、これはA級、これはB級と指示するのもある。まるで娼岐扱ひだがそれも亦時勢であらう。

時間外○○の外に「別座敷」と称して、所謂「○○○の間」の定価表まで作ってある行届いた花街もある。