深川仲町

場所

深川区富岡門前町から同門前仲町に亙る地域。

それ風流深川節に曰く『猪牙で行くのは深川通ひ』と、深川は水郷である、取分け木場につゞく此あたりは水郷であつたから、駕籠でゆくよりも、神田川或ひに日本橋川から船でゆくのが便利だつたのである。 そして送りの船に羽織芸者をのせ、三下りでも弾かせながら船宿まで送らせる、むかしはさうした風流な遊びが行はれた。 お侠で鳴らした「辰巳芸妓」なるものは、すでに天保前に於て散逸しつくし、『油堀に沈む灯、内川に浮ぶ燈、富ヶ岡門前の路次小路に軒をならべて、昔の八幡鐘を淨心寺の鐘の音のことかと思つてゐる程、深川芸妓は呑気になつた」と皮肉られても、今は何ともはや致し方はないが、歴史と環境は矢張り争はれないものである。 此処の芸妓には面長な女が多く、義理に固く、人情にもろいところのあるのは、尚ほ何ほどかは羽織の流れを汲むと言へよう。 同じ三流どこの花街でも、山の手と較べると、おのづから異つた味はひがある。

今日の深川

芸妓屋四十七軒。 芸妓百二、三十名。 料亭十余軒。 待合三十軒。

芸妓の数に比して待合茶屋のすくない花街である。

主なる料亭 

伊勢平、一力、はつね、新浜、金月、毛ぬき、天政。

主なる待合 

まさご、蔦家、岡山、松葉家、ふじ家、末ひろ、松川、壽々本、花家。

料亭伊勢平はむかむの「平清」の跡だ、江戸時代から府内指折りの割烹店で、文政年中早くも風呂などを設けて、湯治に行つた気分がすると蜀山人にちらしを書かせた老舗、二十年ばかり以前に代替りとなつたのは惜しいが、内川に枕んだその奥座敷は頗ぶるいゝ。 殊に夜は水のきたなさが見えないで、映る灯の色のみがうつくしい、昔はこゝから直ぐ船に乗つたであらうといふやうなことを想はせる室で、料理もちよつと食はせる。

花街名物

春秋二季の「深川踊」。