大井

「お若エの、お待ちなせこと芝居なら幡隨院の長兵衛が権八に声をかけるところ、むかしの刑場跡である鈴ヶ森を中心として出現した花街。 京浜国道に沿ふで交通至便旧市街の中心神田から円タクで行つでも安ければ五十銭、七十銭出すのはいゝお客とされてゐる。 京浜電車ならば「鈴ヶ森」又は「大森海岸」下車。

一時南郊名物『砂風呂』で鳴らしたところ、その砂風呂が発達して今回の花街をかたも造ったと言ってよく、当時芸妓は主として次章紀する所の「海岸」から仰いでゐたものだが、昭和二年四月三業許可地となって両立し、同年の十月から名実伴ふ今日の三業花街となったもの。 組合は異るけれど、事実に於て、「大森海岸」とは殆んど一つゞきの花街を成してゐる。

現在芸妓屋六十五軒、芸妓の総数二百四五十名(内小芸妓十三、四名)で、待合三十軒、料亭及び料理旅館兼業が三十九軒、合せて約七十軒である。

待合の主なるもの

銀月。 波満川。 乙女。 みどり。 樋口館。

樋口館は名儀は料理旅館だが、料理旅館も待合も実質に於て異るところはない。 新市街地の花街で待合の設備の最も整ってゐるのは、此処と大森海岸を以て白眉となし、大きな待合には各室毎に風呂場と手洗所が附いてゐるから、かくれ遊びの客が便所の帰りに友人と出会し、「やあ、なんだ、君も来てるのかい」などゝお互ひに照れる心配はない。 この設備が、今日此の土地の繁昌を招来した主なる所以で、人目をしのぶ連込みには最もお誂向である。

波満川は一名野球庵と号し外線電話の設備を有し、みどりは又俗に「下戸庵」と呼ばれ、酒は一本以上出さないので有名である、蓋し遊興費をかさばらさない為の用意に出でたものとい ふ、以て当地花街気分の一端を窺ふことが出来るであらう。

但、むかし全盛を極めた砂風呂は今日は殆んどなくなって、今日その設備を有するものは前掲みどりに樋口館、福住、小舟その他四五軒ぐらゐのものであらう。

尚料理屋としては鳥料理の「鈴きん」がある。 宴会をするに適当な料理店のないのが此花街の欠点、近く「鈴きん」が大増築をして、この欠点を補ふさうである。

遊興制度

芸妓は最初二時間を以て一座敷とし、大芸妓三円五十銭、小芸妓二円七十銭。 爾後一時間を増す毎に大芸妓一円五十銭、小芸妓一円三十銭。 お約束(二時間)は大小とも一円増し。

○○外は十一時切換の七円といふが先づ普通相場。

待合の席料は最低一円、普通は一円五十銭から、二円、二円五十銭といふところで。 三円とる家は先づすくない。