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五、琵琶湖々上の心中 第七章 余録
五、琵琶湖々上の心中
香りの高き白百合の吉子
『一番香りの高い花を手向けてよ』との遺書を残して琵琶湖々中の藻屑の露と消えた芸妓吉子は白山花街の三河家の養女であった。 優しい白百合の様なしをらしさを人前に現はして可愛いがられ踊り芸は却々立派なものであった。 何時しか其造船学の泰斗の息で、当時東京帝大文科で哲学研究中の大学生と恋に落ち、花の朝、月の夕の語ひに其の情緒は白熱化し、人目の関のしげく、尚且つ恋の相手は学生の身であったから、繁々と逢瀬の楽しみを別つ事が出来なかった。亦相手の学生は厳格な家庭に育った身、相恋し逢っては見たものゝ、到底親の許しを受け、晴れて夫婦となる訳にも行かず、馴染を重ねれば重ぬる程恋の絆のほぐれ難たなく、もがき苦んだ揚句の果は双方心中と決心し、山蔭城の崎温泉に身を隠し、結句同所海岸より二人手を繋いて身投をせんものと海底を眺めると潮の流れが如伺にも清冽なので、男の方が哲学かぶれのした男なので一寸気が変って茲で死ぬのを思ひ止まり、夫れから関西地方を彷遑し、死に場所を近江の琵琶湖と定め、唐崎の松の辺りを逍遥し、フト汀の辺りに浮び居る捨小舟を見付け出し、之れ屈強の死出の案内役と船に乗り込み沖合遥かに漕ぎ出して、ザンブと許り二人一所に投身自殺を遂げたのである。その時、二人の連添うて歩いた若き男女の姿を眺めた通りがゝりの漁師は二人を素見したが二人はげらヽ笑ひ合ったさうだから、此の漁師は真逆に心中するとは思はなかったと跡で人々に話したさうだ。
其遺書には二人共同じ御寺に埋葬し、香りの高い花を手向けて貰ひ度いと書いてあったが、男の親は家名を重んじ、絶対に左様の事はまかりならぬと、三河家からの交渉を跳ね付けたので、三河家では致方なく、男の方の葬式の日と時間とを見計って同時刻に葬式を済ませ尚極々秘密に男の方の火葬場から男の遺骨を貰ひ反けて吉子の棺に納め、遺書に香の高い花とあるからには、百合の花に間遠ひはあるまいと、堆高い許りに百合の花を手向け、其冥福を祈ったといふ事である。此の事に就ては読売新聞の記者で東京花柳界の通人、唖然坊主人が麗筆を揮った事があり、尚花柳界の歌師が歌に作って読売りして歩るいた事があった。何んとローマンチツクな恋物語りではあるまいか。